
MEMBER
料理を愛し、店を磨く
―薄田 健太郎 調理部マネージャー
母親の影響で小さいころから料理に興味を持ち始めたと恥ずかしそうな表情で話す薄田さん(以下うっさん)は弊社初の焼肉業態『焼肉 金子苑』を立ち上げた主要メンバーの一人。
『小5の時に、母の炒飯を見よう見まねで作った覚えが、でも味がキマってなくて。母にバレないように捨てた思い出があります。』
日本では昔から物を粗末にしてはいけない、現代ならフードロスなどと騒がれる案件だが、小5にして味がキマらないと話す薄田少年がこの後母親にひどく怒られたのは容易にイメージできる。そんな薄田少年はその後も家や小学校の家庭科の授業で張り切って臨んだという。
家庭科ではしゃいでた少年も年齢を重ねるにつれ、他の男子同様に多感な時期を迎え、自己表現のツールとしてでファッションにも気を使い始め千葉から都内のショップなどに足しげく通うようになる。
『大学生の時は恵比寿、中目黒、代官山、渋谷を回ってよく買い物してましたね。ショップの店員さんと仲良くなって取り置きお願いしたり、一緒に飲みに行ったり。』
都内の大学に通う学生からしたら憧れるような動きである。しかし人が動くと失う物がお金であり、そしてお金を手に入れるためには動かないといけないのが世のルールだ。
『好きなもの買うのに稼がないとで焼肉屋でバイトを始めて、それがきっかけで調理を始めまして、飲食関係の仕事に就きたくなって。』
学生時代のバイトが家庭科ではしゃいでいた童心を呼び起こすことになる。そして大学卒業後に調理の基礎を学ぶため調理の専門学校へ、卒業後はイタリアンレストランへ就職。その後洋食、和食、焼肉の業界で経験を積んでいく。

いつか一緒に立ち上げをやろう
前職の上司であった調理部長からの誘いを受け弊社に入社。直後、慣れない大衆酒場業態の新店舗のメンバーとして抜擢され自身初の店舗の立ち上げの経験する。
『正直もう(立ち上げ)やりたくねーって気持ちになったこともありました。けど昔(誘ってくれた上司に)言われた言葉思い出して。』
前述の上司は前職時代に特にお世話になったソウルメイト。(通常調理の世界では師匠や先輩と称すことが多いが、親や兄弟のような近さの間柄の為、この呼び名を使用させてもらう)そんな上司は当時から新店舗の立ち上げを担当、その姿には少なからず憧れがあった。そして離職前に上司から言われた『薄田、いつか一緒に立ち上げをやろう』そこで交わした言葉をうっさんは覚えていた。そしてその約束は現実になった。
新店舗を無事に立ち上げ、続けて弊社初の焼肉業態を立ち上げることに成功。『信頼できる仲間がいたので心強く、比較的落ち着いて立ち上げることができました。』

見られてることへの意識
日々の営業に新店の立ち上げ、焼肉業態の管理のほか、職場の衛生面の改善など仕事は多岐にわたる。
そんなうっさんの仕事のオンオフはユニフォームに着替えた時だと話す。
袖を通す味の出ているユニフォーム。
この『味が出ている』と『汚れている』の違いについて社内で話すことがある。
大衆酒場、町焼肉という高級ではない業態だとその境界線はさらに曖昧になる、
人の感覚や美的センスはそれぞれ、なので線引きが難しく、度々議論を巻き起こす議題だ。
しかし、あえて違いを示すとするならばそれは『手入れがされてるか』である。
経年で傷はついてるが磨かれた壁と油やホコリがたまった壁。
薄いシミがついたユニフォームでも洗濯後しっかり畳まれたものとシワクチャのもの。
使用してる中でチップしたが金継された皿とそのままのもの。
もともと洋服好きというのもあるが、うっさんのユニフォームは洗濯され、シワも少なくしっかり手が行き届いている。
『見た目って大事なんですよ。見た目ちゃんとしてると中身も伴ってる人に見えるというか(笑)』そう冗談交じりで笑って話すが、飲食業を人に見られる見せる職業と認識してるからこそこの言葉には重さがある。

個人の携帯電話で撮った写真がSNSを通じて拡散、共感を生み影響力を持つ時代、時にはカメラが銃のごとく火を吹き炎上を招くこともある。
そんな時代だからこそ本質的な美味しさプラスの見られていることへの意識を常に持っている飲食人は多いはずだし、うっさんも例外ではない。
味のチェックはもちろん、盛り付け、串の形、皿器など料理に関わる事から、従業員の身だしなみ、所作、内外装に至るまで気を使い目を配る。
騒がしければ良いわけでも高級に見せれば良いわけでもない。
あくまで『大衆』を生業とするGCCPの『らしさ』『スタイル』のなかでの見せ方を追求し、今日もお客様、従業員へ見せる立場としてうっさんは現場に立つ。
STAFF
TEXT: Masami Wakasa
PHOTO: Yuta Kobayashi
September, 2026